リベラルという「看板」

 以前ご紹介した記事でも若者のリベラル感について論じられていましたが、かなり体系的な良い記事があったのでご紹介します。

 

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 英語の〈liberal〉は元々、市場に対する政府の介入の抑制と規制緩和を主張する、古典的な意味での自由主義者のことだったが、アメリカで独特な意味を獲得した。

 1930年代のニューディール期から50~60年代の黒人の公民権運動が盛り上がった時期にかけて、「ケインズ主義的な介入や福祉などを通しての再分配を支持する人」、あるいは、それと連動して「社会的弱者や文化的少数派にやさしい政策を求める人」が、「リベラル」と呼ばれるようになった。

  こちらが語義としてのリベラルなのですが、日本での使い方は曖昧なものになってしまっています。

 東西冷戦が終焉し、共産党も含めて、共産主義を目標として掲げる政治左派勢力がなくなり、かつてとは逆に、自民党へのアンチという形でしか“左”の共通尺度と言えるものがなくなった。

 そこで、ソフトな「左」という意味合いで、「リベラル」という言葉が使われるようになった。

 ただ、90年代半ば以降登場してきた様々な反自民あるいは非自民の諸政党は、その時々の自民党(主流派)の主要政策に反対する――住専処理、郵政民営化、原発、労働市場の自由化、行財政改革…――という以外に共通点を持たなかった。

 

 この分析は非常に的確だと思いますが、意外なところで中核派・全学連委員長のインタビューでも似たような見解を語っています。

――リベラル勢力の衰退が叫ばれる中で、反安倍の世論。復活には何が必要か。提言はありますか。

 リベラル勢力が復活することは無理だと思います。要はリベラルとは、左派でも右派でもないということですし、労組とかそういう基盤なくやるんだというのが一つの筋になってますから。要は選挙とか、そういう場所以外においてストライキとかで強制しようという論理の筋道がない以上、彼らはじり貧になっている。復活の道はその先にはないと思います。

――本来は揺り戻しと言うのは政権交代で起きるもの。米国は共和党と民主党の間で起きます。

 立憲民主党の枝野さんなんかは「30年前だったら、自民党宏池会に自分がいるはずだ」と自分で言っています。そういう意味では、野党も自民党のような世界観で物事を打ち出して勝負している。となると政権交代をする必要がない。選挙でそれ(政権交代)が起こることはあり得ない。なぜなら選挙はテストみたいなもので、日常の力関係がそのまま表れるから。資金力がまず要因。何回選挙しようが、安倍政権がどんだけひどいことをやろうが。

出展: リベラルに復活の道はない、中核派・全学連委員長が激白 | 『週刊ダイヤモンド』特別レポート | ダイヤモンド・オンライン

 

 

 この現象自体は日本でリベラルという言葉が使われ始めたころから変わっていないのですが、ここにきてこう言った言説が目立つようになってきたのは反自民党勢力の掲げる看板として「リベラル」という言葉の消費期限が切れてきたということのようにも思えます。

 

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