ヤマザキビスケットの逆襲が始まる!?
ヤマザキビスケット社が12月に入り新製品攻勢に入りました。
はい、ついにオレオですね。そしてリッツです。知っている人は知っているモンデリーズとヤマザキビスケットの因縁ですが、良い機会ですので簡単にまとめてみました。
ことの起こりは昨年の2月のことでした。
2月12日、山崎製パンは子会社のヤマザキ・ナビスコが締結している米モンデリーズ・インターナショナルとの製造・販売のライセンス契約を今年の8月末で解消すると発表した。
ビスケット菓子の「オレオ」や「リッツ」など4商品との関係を打ち切り、ヤマザキ・ナビスコは9月1日からヤマザキビスケットと名を変えることになる。
出典:「オレオ」「リッツ」から手を引く山崎パンのプライドと勝算 - エキサイトニュース
なぜ山パンはモンデリーズとの契約を終了するのか。
背景には、モンデリーズの経営戦略の変化がある。モンデリーズは12年10月に米クラフトフーズからスピンオフ後、事業の「選択と集中」を実施した。ノンコア事業を整理し、日本では昨年4月に保有する味の素ゼネラルフーヅの株式を味の素に売却した。
その一方で、菓子事業はコア事業と位置付けられ、「販売を自社で行う方針になった」(モンデリーズ・ジャパン)。そのため、「製造のみをやってほしいという申し出」(飯島延浩・山崎製パン社長)を山パン側に投げ掛けたのだ。
しかし、自社で物流やデイリーヤマザキなどの販売網を抱える“自前主義”の山パンにとって、事実上の下請け提案は受け入れ難いものだった。
出典:「オレオ」「リッツ」から手を引く山崎パンのプライドと勝算 - エキサイトニュース
長年ヤマザキがライセンス生産・販売して育てたナビスコを始めとする各ブランドを丸ごと引き上げて製造だけよろしくといういかにも外資というやり方に対して、ヤマザキがプライドを見せてライセンス契約を解消するという展開は日本中で話題になりました。2016年9月からモンデリーズ社がリッツ、オレオの販売を始めた際は、国内生産から海外生産に変わったこと、味や質感に違いが出てきたことなども話題になりました。
こうして、主力商品を失い会社名の変更も余儀なくされたヤマザキビスケットですが、契約による類似商品の製造販売の制限がなくなったこの12月から上述の通り実質"本家"のオレオやリッツを販売することになりました。この先の競争がどうなるか楽しみです。
この一連の流れで一際目を引くのは、ライセンス契約終了でブランド価値を失ったかに見えたヤマザキビスケットが思わぬ健闘を見せ企業ブランドを維持どころか向上させたということです。
その要因には当然判官びいきがあるでしょう。海外企業のドライな意思決定に振り回される日本企業という構図は日本人にとって非常に分かりやすく情緒に働きかけるものがありました。また、我々が美味しいと愛していたお菓子のブランドだけを取り上げて海外生産に変えてしまうというモンデリーズ社のやり方は少なからず日本人の食に対するプライドを刺激されたということもあるでしょう。それに対決姿勢を打ち出したヤマザキビスケット社に支持が集まるのは当然ともいえます。
また、ヤマザキビスケット社の新ブランド「ルヴァン」が広まり定着していく過程に実に日本人好みのストーリーがあったことも見逃せません。それは、ヤマザキビスケット社がJリーグ開幕から24年間にわたりスポンサードしてきた「ヤマザキナビスコ杯」に関する物語です。
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当初の予定では2016年のヤマザキナビスコ杯は9月1日からの社名変更後もモンデリーズ側の了承を取って大会名をそのままで進行することになっていました。途中で大会名を変えるというのは普通にあることではありませんが、今回の場合はヤマザキビスケット社のお金で商売敵の宣伝をするようなものでした。
その判断を最終的に変えたのが、村井が飯島とともに訪れていたミラノの夜だった。2016年5月29日の夜だったという。
(中略)
サッカーに携わるものとして感じる高揚感もあったのかもしれないが、食事などの席で飯島との時間を共有する中、村井は「ここで大会名を変えなければ恩返しはできない」とばかりに本題を切り出した。
「ナビスコの名前を変えますよ」
飯島は、「ありがとうございます」と短く伝えたという。村井はこの時の決断について次のように回想する。
「飯島社長は、そうしてくれると嬉しいが、そういうわけにもいかないだろうと考えていたのではないかと思っていました。実際に4月の時(前述の27日)に変えましょうかと伝えたときの飯島さんの反応は、『いや、いいんです』ではなかったからです。『えっ?そんなことができるのですか?』というような沈黙があったんです。これは変えてもらいたいのかなと感じてました。考えてみると、これは飯島さんにとって難局だったわけです。そこで考えました。これまで24年間、リーグカップの大会スポンサーとして飯島さんには多大な支援をいただいてきた。そんな飯島さんに恩を返せるのはこの場面以外にないのではないかと考えたのです」
出典:ナビスコからルヴァンへ、カップ戦開催中に前代未聞の名称変更の舞台裏 | ルヴァンカップ25年目の真実 | ダイヤモンド・オンライン
「通常Jリーグでは、理事会を開催する前に、Jクラブの全社長が集まる実行委員会という場で承認を取るんです。この決定事項が、理事会にかかって決定されていく。ところが大会名変更については、そうした手順を飛ばして飯島さんにお伝えしていましたから。だから理事会、実行委員会で承認を取れるのかどうか、冒険でした。ところが会議では出席したみなさんが、Jリーグのために二十数年手伝ってくれて、ここ一番の大勝負のタイミングで俺らが協力しなかったらどうするんだみたいな話になって。異論は一つも出なかったと思います」
普段は、クラブ経営やリーグ運営で数字を弾き、理詰めで組織を運営してきた経営者たちだが、もともとはスポーツマンシップを重んじるサッカー人。そんな彼ららしい義理人情で結束した瞬間だった。サッカー界におけるフェアプレー精神が発揮された場面だといってよかった。
(中略)
大会名称の変更は、それに伴う各種デザインの変更を要する。赤色が主体だった前大会から、ルヴァンのカラーである鮮やかな青色に変更。スタジアムを飾るバナーはもちろん、大会使用球も変更になった。その数1500個に上るが、用具提供スポンサーのモルテンは変更を快諾して請け負ったという。
また、大会を放送してきたフジテレビは、CGなどの特殊効果の映像を全て差し替える作業を受け入れ、選手協会も大会名変更についてはSNSなどを利用してその告知活動に全面的に協力した。
商号変更の2016年9月1日に先立つ8月31日に開催された、リーグカップ決勝トーナメント準々決勝第1戦は、かくして「ルヴァンカップ」として開催された。「ルヴァン」の名称は瞬く間にJリーグサポーターの間に浸透し、ナビスコは過去の名前となっていった。
出典:ナビスコからルヴァンへ、カップ戦開催中に前代未聞の名称変更の舞台裏 | ルヴァンカップ25年目の真実 | ダイヤモンド・オンライン
もともと、サッカーファンはスポンサーに対するロイヤリティ(忠誠度)が高いことで知られていますが、長年のスポンサーが苦境に立たされてなおスポンサードを継続してくれる、そしてJリーグ側がそのスポンサーに最大の配慮を見せたという事実がサッカーファンの間で「ルヴァン」という名称を一気に浸透させることになりました。
結果としてヤマザキビスケット社の企業価値はライセンス契約していた有名ブランドを失ってもなお高まることになりました。長年にわたるスポンサードによって多くの人から愛され感謝される企業へとなりうるという好例でしょう。今回引用した「ルヴァンカップ25年目の真実」という連載記事が12月の類似商品販売解禁を前にした11月に公開されたことも少なからず意図を感じます。
これからがヤマザキビスケット社にとっては本当の勝負になると思いますが、多くの人に愛されている企業ですので行く末が気になるところです。